|
『Fate/Zero』Review
正直言って僕は『Fate/Stay
Night』という作品をまともにプレイしていないし(随分前にセイバールートをプレイしたきりだ)、TYPE-MOON作品への思い入れは全くと言っていいほどない人間だったのだけど、こんなものを書かれてしまっては今すぐに再インストールするしかない。
虚淵玄本人のあとがきを引用するならば、
「その結末において、慟哭するセイバーの姿を目の当たりにした読者が、どうか怒りと悲しみのあまり最終巻を破り捨て、そのまま衝動的に『Fate/Stay
Night』を再インストールし、彼女が救いを得るに至るまでをもう一度見届けずにはいられなくなるような、そんな物語を書き上げてみたい」
(『Fate/Zero』一巻P397)
という目論見はこれ以上なく成功している(問題は、こちらが未プレイに近い状態であるということだけだ)。
セイバーだけではない。凛、桜、イリヤスフィール、その全員が胸の内に悲劇を宿したまま終わりの緞帳が下ろされるこの物語に救いはなく、ただ一筋――まるで『蜘蛛の糸』のように――見出された『希望』に縋りたいのならば本編をプレイするしかない。
虚淵玄という人物の持つ――冷酷、非情などという言葉では生温いほどに――残酷なシーンを演出する才能(彼は『最悪のタイミングで、最悪の人物が、最悪の行動を起こす』描写のプロフェッショナルである)と、まるで一切の無駄が見つからないタフな文章が紡ぐ力強い『物語』の力に、我ら読者はただサンドバッグのように打ちのめされ、この悲しみと怒りに満ちた負の一大叙情詩を自らの網膜に、頭に焼き付ける事しかできない。
今一度警告しよう。「生半可な覚悟で踏み込むべき世界ではない」と。
軽い気持ちで手に取ったならば――そう、まるで僕のように――睡眠時間を失い、憑かれたように読み進め、読了とともにその精神を意味もなく憔悴させることになる、と。
しかし、同時にそれは抗いがたい魅力――この場合は『魔力』と言うべきか?――でもあるのだ。
おそらく、ドラッグに感情を揺さぶられるというのはこういう事なのではないのだろうか。
僕は――たった1400枚の紙に少量のインクが染みただけの――四冊の本に、喜び、怒り、悲しみ……更にはここまでの長文を書かされてしまったのだ。
気付いてしまえば、全てが後の祭りである。そう、この物語で描かれた――あらゆる物語の中で最も哀れな主人公の一人である――キリツグのように。
然るべき覚悟がある――心と財布の中身に余裕があり、『Fate/Stay
Night』を買うつもりがある、或いは所持している――者は手にするといい。
借りてきた猫のような文学に飽き、画一的な娯楽小説に辟易する――貴方の読書という趣味を一気に特別なもへと変えてくれることだろう。何故ならこの作品に触れるということはノーマルな『読書』などではない、一つの『体験』であるからだ。
願わくば、この本を手にした貴方が聖杯――作中の紛い物などではなく、あなたの心の中にある『それ』だ――を見つけられることを。
K.Crouka
……はい、久しぶりにインチキ翻訳調ですよ。
なんていうか、普通に感想を書くと「とてもきもちのわるいもの」になってしまう為、こういった形で感想を書かせていただきました。
ですが、表現に若干の誇張(笑)があるとはいえ、大体の感想はそのままだったりします。
いくつか補足するなら、あとがきの文章にあるように、この作品によって虚淵玄というパーソナルが救われ、『続・殺戮のジャンゴ』のような開放的な作品を世に送り出すきっかけになったであろう、という事でしょうか。
虚淵が筆を折っていたかもしれない――というのはファンにとってショッキングな告白でしたし、それが(僕個人の好みはさておくとして)『Fate/Stay
Night』という作品によって回避されたというのは素直に喜ぶべき事だと思うのですよ。
『Fate/Zero』の中にいくつか散見される、おそらくは奈須きのこから受けたであろうポジティブな描写が自らの作品にフィードバックされ、『続〜』が書かれたのだと考えると感慨もひとしおです。
正直なところ、今ウロブチが推している『悪女もの』ブームは絶対来ねぇと思いますが(笑)、めげることなく美少女ゲーム業界で『漢』と『愛』について書き続けていただきたいものです。 |