ひだまりスケッチ論 −二期制作決定の報に寄せて−

■アニメ『ひだまりスケッチ』はミニマルテクノである

1-1.日付のシャッフル
まず、このアニメの特殊性として、『日付のシャッフル』というのがあります。『涼宮ハルヒの憂鬱』は放映時に
話数をシャッフルすることでTVとDVDの差違を見出すという手法を用いていましたが、こちらはDVD、放映時ともに日付をシャッフルし、冬の話の次に夏の話、春の話と一貫性のない話数順に並べられています。
それによって伏線が複雑化し、視聴者の頭の中でリセットが行われ、常に心地よい戸惑いを持って次の話を
鑑賞することが出来ます。

1-2.円環構造
ここで注目したいのが最終話から1話へと話が繋がっているということ。
こうしたループを作り出すことで、最終話でありながら最終話ではない、1話でありながら続きである、まさに
「終わりがないのが終わり」といった状況を作り出すことが出来たのです。

1-3.演出に見る『テクノ的』な手法
さて、演出へと目を向けてみましょう。
この作品の特色として『あまり動かない』というのがあります。
最低限『動かしたい部分』のみを動かし、残りは一枚絵と台詞で間を持たせる、というもの。
『必要以上に動かさない』という無駄を省いた基本姿勢はテクノにも通ずるものです。
また、全ての話において『朝、ゆのが目覚ましを止めて話が始まり、夜、入浴と共に話が終わる』という展開が
共通しており、それは『反復の音楽』であるテクノ・ミュージックとのわかりやすい共通点ではないでしょうか。
もう一つ。この作品に於いて主要な登場人物はゆの、宮子、沙英、ヒロの4人だけであり、キャラクター性を持ったサブキャラ(吉野屋先生、大家、校長、夏目)を含めても8人しか出てきません。この『登場人物の少なさ』から
来る『物語のミクロ化』というのは原作にも言えることなのですが、アニメ化に際して徹底的に他の登場人物が
排除されており、よりミニマルなものになったと言えるでしょう。
この話に関しては次項で更に詳しく触れていきます。

1-4.疑似家族、並びにもう一つの円環
主要人物(ゆの、宮子、沙英、ヒロ)の四人は一人暮らしでありながら『ひだまり荘』という同じ屋根の下に住む
四人です。ひだまり荘に他の住人はなく、また絵的にも四人が一つの部屋でテーブルを囲んで談笑する場面が多いことから、一つの『家族』として描かれているとも言えるでしょう。
そう考えるとひだまり荘の面々には父、母、姉、妹という役割分担を当てはめる事ができ(誰がどの役割かは
今更書くことではないでしょう)、『ひだまりスケッチ』を『(擬似的な)家族を描いたもの』として観ることが
出来ます。
また、『一人暮らしが集まり家族になる』事にもう一つのミクロな円環を見出すことも可能となり、物語の枠から
離れた『TVアニメの構成としての円環』と『登場人物の中で完結する円環』という、二つの円環を対比させる事ができるようになります。

1-5.アニメ『ひだまりスケッチ』はミニマルテクノである
『連続する25分弱の映像集』としてTVアニメを見た構成、極限まで無駄を省き繰り返しを演出した本編、最小限の登場人物が描く円環構造といったこれらの要素は、『最小限の音』を『切り貼り』して『反復』させるという
テクノ・ミュージック、なかでも『ミニマル・テクノ』と言われるジャンルに相似している事に気付きます。テクノからは少し離れますが、この作品で多用される実写映像のコラージュ演出もクラブ・ミュージックで多用される
『サンプリング』に近い手法だとも
言えるでしょう。

ここまでアブストラクトな表現を『TVアニメ』という場で表現した『ひだまりスケッチ』はとても革新的な作品であり、もっと評価されてしかるべきだと思うのです。


■『特別編』の持つ意味
と、そこまで書いてこの文章を終わらせても良かったのですが、一つ見逃せないものがありました。それが
『特別編』という映像の存在。
ここではそれについて触れていきます。

2-1.『特別編』制作への経緯
1-2で触れたように、この『ひだまりスケッチ』という作品はTV放映の時点で完結しています。それなのに何故
続きが制作されたのかと言えば、『続きが観たい』という視聴者の欲求から来る蛇足的なものに他なりません。
これは制作が発表された二期に関しても同様のことが言えるでしょう。

2-2.『特別編』の特徴
さて、『特別編』には本編とは違う大きな特徴があります。それは『サブキャラクターの出番が多い』という事
です。特別編1話「そして元の位置に戻す」では、原作からひたすら四人の出番だけを抜粋したTVシリーズに
比べ、原作以上にサブキャラの出番を増やしています。
また、特別編2話「そこに愛はあるのか?」についても同様のことが言えます。TVシリーズには登場しなかった
保健の桑原先生が顔を出しているのは注目すべき部分でしょう。姿こそ見せないものの、ヒロにラブレターを
出した男子生徒の存在も特筆すべき部分です。
この話に関しては、映像された『ひだまりスケッチ』の中で唯一原作が単行本に収録されていないというのも
特徴です。

2-3.『特別編』の持つ意味
それらをふまえた上で、この『特別編』はどういう意味を持った作品なのかについて書いてみましょう。
先程も書きましたが、『ひだまりスケッチ』という作品はTVシリーズ単体で完結しており、純粋な続きは必要
ない、と言えます。
しかし、サブキャラを多く登場させ、主要人物の色恋沙汰、という異色作を収録したこの『特別編』で描いたのは『円環構造の破壊』であり、そこにこそ意義があったのではないか、と考えます。
構成的にイレギュラーな『特別編』という存在、必要以上に多いサブキャラクターの出番。中でも
『ヒロへのラブレターが来た』というアクシデントにより残りの三人が慌て始める「そこに愛はあるのか?」は
『見ず知らずの男』というイレギュラーな存在が介入することによって『疑似家族としての円環』の崩壊を匂わせた話だとも言えるでしょう。そこには完成度の高さを誇るTVシリーズの構成にヒビを入れてしまおう、という意図が見てとれますし、更には二期を始めるための『創造的な破壊行為』だったと考える事も出来ます。
完璧な一期を作ってしまったが、二期を始めるためにそれを壊さなければならず、故に『特別編』は存在した。

これが『特別編』の存在意義なのではないでしょうか。


一応言っておきますが、全て思いつきで書いたネタなのであまり本気にしないように。
MMRっぽく受け止めるのが吉ですよ。