眉村健の憂鬱 眉村の心に重く圧し掛かる言葉は次第にその重みを増していっていた。窓の外はやはり杯をかえしたような雨が勢いを増しつつ降りしきって、視界を曇らせる。いやな気分だ、眉村は舌打ちした。 * 雨の日は嫌いだ。空気が湿って肌に纏わりつくようなあの感覚が気持ち悪い。ボールは若干握りづらくなるし、何よりこう言った日にいい事があったためしが一度もなかった。 そう、雨の日の自分は、実に運が悪いのだ。昔から、眉村は常々そう感じていた。 「どうした眉村、なんか元気ねえな」 「いや……そうか?」 「かなり。大丈夫かよ」 相当表情に出ていたのか、それとも雰囲気がそうだったのかは知れないが、部屋に遊びに来ていた(というか避難してきた)薬師寺にまで心配されてしまう。どうでもない風を気取っていてもよく気が付くのがこの男だった。人がいいといえば聞えはいいけれど、ただでさえ眉村自身あまり他人に干渉されるのを好まない性質のせいも手伝って、彼の心遣いが自分にとって少しばかり煩わしいと感じていた。 「薬師寺。喉渇かないか」 「あ? あぁ、ちょっとな」 「奢るから買ってきてくれ。俺はアクエリを頼む」 何か食いたいものがあればそれも買ってきていいぞ。と財布ごと渡して、さっさと薬師寺を部屋から追い出す。ようやく一人の空間を作り出した後、眉村はおもむろにため息をついた。 もとから、自分の領域に他人を入れることはあまり好きではない。ましてや今日は雨のせいで気が落ちているのだ、友人といえど自室へ招くことはできれば避けたい所だった。一人になりたい、それが今の素直な感情だ。 「かと言って、あいつも大変だったろうしな…追い出すわけにもいくまい」 先ほどの薬師寺の愚痴を思い出して、眉村は鉄仮面の表情を少しばかり崩した。部屋にいたらものすごい形相をした佐藤が訪ねてきて、茂野への相談を始められたんだとか。 普段は穏やかな物腰で落ち着いた印象が強い佐藤も、茂野のことになるとどうしてだか仮面が外れたようにキャラが変わるのだなあと始めのころは自分も素直に驚いていたように思う。 驚いていたのはあくまでも始めのころ、だけであって、今は違う。彼のあの変わりようは尋常ではない、そう考えるようになった。雨脚が強くなり、窓を力強く叩きつけて滴り落ちていく。気分は急降下だ。 ああ、なんだかよくないことが起こりそうだ。 ――コンコンコン。 ふいに、部屋の扉がノックされる。丁寧な叩き方。薬師寺だろうか。先ほどまで部屋にいたくせに、いやによそよそしいな。 不審に思いながらも眉村は素直に腰をあげ、入り口に足を運ぶ。「薬師寺?」と扉を開けば、予想していたのとは随分違う顔がそこにあった。薄く笑んだ口元がいつものそれとは様子が違っていて、よく分からない威圧感に苛まれる。妙に迫力のある、しかし整った笑みを浮かべた佐藤がそこにいた。 「こんばんは眉村君。…薬師寺君じゃなくて残念だったね」 「…いや。どうしたんだ珍しいな」 「うん。少し時間大丈夫かな」 有無を言わせない迫力を伴ったそれに、頷くほかなかった。眉村は、佐藤が苦手だ。チームメイトとしては頼れる男だと思っているが、野球以外のことで関わりなど、持ちたくないと思う。まして友人などと言う関係、つめの垢ほどもなりたいとは思わない。 (何故なんだろうな…性格が悪い、というわけでもないのに。ああいや、茂野のこととなれば話は別か) お邪魔します、と礼儀正しく部屋の中に入る佐藤の背をぼんやりと見つめながらそんなことを考える。扉を閉める瞬間、薬師寺の姿を廊下の端に捉えた。 「…佐藤、悪いが少し待っててくれるか。飲物をとってくる」 「え、…いいよ別におかまいなく。すぐ帰るし」 遠慮は聞かずに部屋をあとにする。彼のほうへ駆け足で向かえばすぐに此方に気づいた薬師寺が軽く手を挙げた。手にはペットボトルが二本、抱えられている。 「どうしたよ」 「部屋に、佐藤がきてる。俺に話があるらしい。…少し他で時間を潰しておいてくれるか」 「ああ、そりゃ構わねえけど…あいつがお前に? 珍しいな」 心底、めずらしいと言う表情でこちらを一瞥し、薬師寺は手に持っていたペットボトルを眉村に託してふらりと先ほど昇ってきたのであろう階段を下っていった。財布は返さないことから、もう一本飲物を買うつもりだろう。もともと奢るつもりだったから、まあそれは別にいい。汗をかいたペットボトルを持ち直して、部屋に置いてきた佐藤のもとへと再び戻る。ほら、と差し出せば「ありがとう」と微苦笑を浮かべた。 「それで? いったい俺に何のようだ」 「ああ、まあ…別に、って言えば君は気を悪くしそうだからそう言っておこうかな」 「……なんだそれは」 普通なら、「気を悪くするから言わない」んじゃないのか。よく分からない。呆気にとられ、目を丸くしていると「面白い顔してる」という笑いがかえってきた。なんなんだ。眉村の思考はただぐるぐると回るだけで答えを吐き出すことができないでいた。 佐藤の考えていることなど、理解できない。そう思ったとき、ふと眉村の胸にむくりと何かが膨れ上がった。なんなのか、よく分からないものが胸中に住み着いている。急な変化にどことなく居心地の悪さを感じた。その居心地の悪さを拭うように、佐藤を睨みつける。彼の口元はまだ、弧を描いたままだ。 「怖いなあ、そんな睨まないでよ。大丈夫、ちゃんと用はあるよ。じゃなきゃ君のところなんかくるもんか」 す、と佐藤の目が細くなる。心なしか劣情が伺える瞳の色に変化したように思えるのは自分の気のせいだろうか。彼の随分な言いようにくいつくでもなく、ただ眉村は彼の次の言葉を待った。 「……眉村は気付いてるのかな。吾郎君ね、最近君の事をよく見てるんだ」 「…また、アイツか」 また、アイツか。言うつもりは――言葉にするつもりは、なかった。しかし、知らぬ間に口をついて出てしまった本音にぴくりと佐藤の眉がよる。しまったと口を押さえても、とき既に遅しだ。ますます不機嫌さを隠そうともせずに、佐藤は眉村をじっとりとねめつけた。 ああ、視線で人が殺せるのなら、まさに今俺は殺されているな、とどこか諦めたように脳内にそんな思考が広がる。 「また…か。今、君はそういったよね。冗談じゃない、こっちだって”また”お前か、って言いたいんだよ。眉村、君はどうして僕から彼を奪っていくのかな」 いい加減にしなよ、と。怒りを抑えた声音が重みを含んで床に沈み込んでいく。重たい。まるで呪いの言葉のようだと眉村は思った。茂野を思う佐藤の重い呪。触れたが最後、言葉とともに地の深くまで沈められそうな錯覚を覚えて、ぞっとした。しかし、それと同時に少し、茂野を羨ましく思ってしまったのは何故なのか。眉村には分からなかった。思考が定まらない。 「ねえちゃんと僕の話聞いてる?」 「…当たり前だろう」 「ふうん……? まあいいよ。とにかく、必要以上に僕から吾郎君を奪おうとしないでね」 次そんな素振り見せたら、容赦しないから。 威嚇する肉食獣のようにするどい瞳で眉村を睨みつけ、ぱっと佐藤はその表情を笑顔に変えた。その豹変ぶりが、恐怖心を煽ることを彼は知っているのだろう。知っていてやるからこそ、眉村は彼が苦手なのかも知れないとふと思った。だけれど。 「じゃあお邪魔しました。僕帰るよ。これから吾郎君と筋トレ行くんだ」 「…佐藤」 「……なに?」 「お前が茂野のことを好きなのはよく分かった。…じゃあ、俺のことはどう思っている?」 言葉にしてから、自分はなんという質問をしているのだろうと頭を抱えたくなった。関わりたくないのに、何をとちくるったことを口にしたのだろう。佐藤の口元が弧を描く。ああ、いやな予感がする。聞きたくない、今すぐこの場を離れたい。そう思うのに、身体は言うことを聞かず、足が床にはりつけられたようにぴくりとも動かなかった。 「いい事教えてあげようか、眉村」 「…なんだ」 「僕ね、”吾郎君だから”好きであって、吾郎君みたいな人間――大嫌いだよ。吾郎君と似たような球を投げる君とか、ね」 その日一番の美しい笑みをその顔に乗せて、佐藤は軽い足取りで眉村の部屋を後にした。部屋に残されたままの眉村は、しばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがてふんと自嘲の笑みを浮かべる。 直接嫌いだと言われた方がよかったかもしれないと眉村は思った。茂野を挙げられ、その上で大嫌いだと言われたのは逆に心に突き刺さる。 「俺は佐藤が好きなのか…? いや、そんなはず――ああだが」 大嫌い、が細い針のように身体の中に入りじわりじわりと傷つけていく。そして、やはり呪のように重みを増していった。 *** そして冒頭に(笑)いえね、眉村、寿也が好きだと気付いた瞬間にぶった切られるの巻です。え…いや、みろくは好きですよ眉村。でもね寿也が吾郎好きだって聞かなくて気付いたら勝手にこう、眉村をいじってしまっててですね。 眉→寿吾が好きです。これちなみに馴れ初め編(笑) 吾郎出て行ってからがまた色々と眉寿になるんだ。そして最終的には寿吾でフィニッシュ。……長いから多分書かないけど(黙れ)寿也は絶対吾郎から離れられない気がしますよね。 2007.06 |